大竹ステンドグラスの技術と歴史

ステンドグラスの技術と歴史

ノートルダム寺院のシャルトルブルーステンドグラスはいつ、どこで創り出されたのでしょうか・・・・・。 とある修道院で神父が石畳にガラスを流し、固め、鉛線でつなぎ窓を飾ったのが始まりあるといわれております。 9世紀にステンドグラス技術の原型ができ、13〜15世紀に全盛期を迎えました。
アウグスブルグ大聖堂(ドイツ)・サンス大聖堂(フランス)・ブールジュ大聖堂(フランス)、 そして余りにも有名なシャルトル大聖堂(フランス)・サントシャペル(フランス)・ノートルダム寺院(フランス)などがあります。
地中海を想わせるシャルトルブルー、赤、黄、緑、紫などの色ガラスが、黒い宇宙にきらめく宝石の星座のように輝きます。
人々は、多彩な光を通して、神秘的な世界で心を浄化し、そこに神を見出したことでしょう。
本格的ステンドグラスは、この時代のガラス技法をそのまま受け継ぎ、今日と変わっていません。 手吹き技法によって作られたガラスは、表面に無数の線とガラス内に気泡を有して、近代的ガラスの硬質さと異なった柔らかみ、深みをもっています。
20世紀になると、画家たちは新しい表現、探究心をもってステンドグラスに取り組むようになりました。 マチスはベニスのドミニコ修道会のために華麗な窓を製作しました。 レジェはサクレクール教会のために、シャガールは12枚の色の異なった幻想的な窓をエルサレムの教会のために。 そして、偉大な建築家ル・コルビジェは、ロンシャン教会堂に珠玉のようなステンドグラスを完成させています。

大竹ステンドグラスの技術と歴史

明治初期の文明開化による欧化主義は、建築物にまで波及し、築地ホテル・鹿鳴館などに代表される欧風建築物が多数建てられ、 赤煉瓦に象徴される西洋建築の窓を美しく彩るステンドグラスは、日本における歴史を刻みはじめました。

宇野沢辰雄氏は、ドイツでステンドグラスを学び、日本初のステンドグラス工房「宇野沢組ステンドグラス」を設立し、小川三知氏は、 アメリカでステンドグラスの技法を学び、その技法をもって帰国し、「小川ステュディオ」を設立しました。

当時のステンドグラスに魅せられて50余年間、この道ひとすじに歩んできた社長大竹龍蔵は、 明治28年、神田で輸入ガラス商「大竹吉蔵商店」を営む大竹吉蔵の末子として生を享け、家業を手伝っていた15、6才の頃、宇野沢組ステンドグラスへ輸入ガラスを納めに行き、 宇野沢氏の作品を見て感動し、ステンドグラスを手がけるようになりました。横浜のオランダ人美術家からヨーロッパのステンドグラス事情を、また小川三知氏からは、アメリカの技法を学びました。

1928年に神田に「千代田ステンドグラス製作所」を創立。 以来、現代に至るまで、本格的ステンドグラスの技術をかたくななまでに守り、日本のステンドグラスの進歩、発展のためにつくしてまいりました。

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